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by nameken9

自民党の「憲法改正草案」を見て その1

自民党の「憲法改正草案」を見て
  その1 「天皇は国家元首」


 自民党の安倍首相は、次の参議院選挙で過半数をとって、次には「憲法改悪」に進もうとしている。
 去年、2012年にまとめた「自民党憲法改正草案」を見て、少し考えてみたいと思う。
 今回は、「天皇」について考える。今の憲法では、その第一条で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」となっているが、
 自民党の憲法改正草案では、
「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、」と変えている。
 天皇を何で急に「国家元首」にするのか?
 それは、日本を「戦争ができる国」にするためには、「国民主権」を否定し、「国家元首」が必要だからである。
 今の憲法では、前文で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とある。
 ここで重要なのは、明治憲法下、天皇が主権を持っていた時代、政府が戦争に突き進んだことを反省し、二度と戦争しない決意を込めて、「国民主権」をとなえている点である。
 自民党の改正案の前文では、この「戦争への反省」は全く切り捨ててしまっており、逆に「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く(いただく)国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」としている。
 しかし、この下線部分は非常に矛盾した表現である。そもそも、「象徴天皇」が何故「戴く(いただく)」存在なのか?そして、「国民主権」という言葉だけが唐突にこじつけられている。「戴く(いただく)」という言葉には、「敬って自分の上の者として迎える。あがめ仕える。」という意味がある。国民が主人公の国で、なんでさらにその上に立つ存在がいるのか?国民の上に立つ「天皇」という存在がいたから、戦争に走ってしまったという今の憲法の「反省」を完全に踏みにじっているのである。自民党の憲法改正草案では、「国民は天皇の赤子」にされかねない勢いである。

「天皇は何をするか?」 
 今の憲法では、「第4条 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」として、天皇の行為を厳しくしばっているが、自民党草案は、この一文の中から、「のみ」を削っている。すなわち、「天皇は、憲法に定める国事以外のことでも、何をしてもよい」のである。「のみ」の一語があるかないかで、意味は全くちがうのである。天皇が「元首」で、何をしてもよく、しかも「首相」や内閣の進言で動く存在としているのであり、こんなに使い勝手のいい「戦争の道具」はないだろう。
 自民党の憲法改正草案は、天皇を元首にして「国民主権」を否定し、天皇が戦争発動の道具となりうる内容を打ち出している。
 次回は、「平和主義」の問題について考えます。      永井

by nameken9 | 2013-03-24 07:39