次回11月12日、午後2時から天王寺公園東口にて行います。


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釣魚列島(「尖閣列島」)などは中国領である

歴史学者井上清氏の1973年の論文

[北京5月3日発新華社=中国通信]東京からの報道によると、日本の歴史学者井上清氏は日本の進歩的刊行物「日中文化交流」二月号に、「釣魚列島(「尖閣列島」)などは中国領である」と題する論文を発表し、多くの歴史的事実を挙げて、釣魚島などの島嶼が中華人民共和国の領土であることを立証している。この論文は、全文次のように述べている。



          一
 日本でいま尖閣列島とよび、日本政府が領有権を主張している島々は、歴史的には明確な中国領であり、1894-95年の日清戦争で日本が勝ち、台湾と澎湖島などを清国から奪いとったときに、これらの島々も奪いとって日本領とし、沖縄県に編入したものである。したがって、台湾、満州そのほか日清戦争とその後に日本が中国から奪った領土は、すべて中国に返還されねばならないという、第二次大戦中の中国と米国と英国のカイロ宣言、および、そのカイロ宣言の条項は実行されると定めた連合国の対日ポツダム宣言を、無条件に受け入れて、日本が中国をふくむ連合国に降伏したときから、台湾が自動的に中国に返還されたのとまったく同様に、これらの島々も自動的に中国領になっている。したがって現在は、それは、全中国の唯一の政権である中華人民共和国の領土である。

 しかし、日本の反動的支配者と軍国主義勢力は、アメリカ帝国主義と共謀して、尖閣列島は日本領だとさわぎたて、国民大衆を軍国主義と反中国の大旋風の中にまきこもうとしている。その大旋風は、本年5月15日、米軍からいわゆる「沖縄の施政権」を返還された後には、必ずやいっそう強化されるであろう。私たち、真に日本民族の独立と日中友好アジア平和をかちとろうとするものは、米日反動のこの大陰謀を、早いうちに打ち破らねばならない。そのたたかいの一つの武器として、以下に、いわゆる尖閣列島の歴史的沿革について略述する。くわしい専門的歴史学的考証は、雑誌「歴史学研究」本年二月号の私の論文を見られたい。

          二
 いわゆる尖閣列島とは、中国でおそくも十六世紀の中ごろには、釣魚島(釣魚嶼、釣魚台)、黄尾嶼等として文献に記載された島々である。1532年、明の皇帝が当時の琉球の支配者尚清を琉球中山王に封じたさい、その使者-冊封使-陳侃が、福州-那覇を往復した。その「使琉記」によれば、彼の船は1532年5月8日、閩江の江口を出帆して、まず、台湾の基隆を目標にして南南西に航し、その沖あいで多少北寄りの東に転じ、5月10日に釣魚嶼のそばを通った。その日記に次のようにある。
 「十日、南風が甚だ早く、船は飛ぶように進む。・・・たちまちのうちに平嘉山(いま澎佳礁)を過ぎ、釣魚嶼を過ぎ、黄尾嶼(いま黄尾嶼)を過ぎ、赤嶼(いま赤尾嶼)を過ぎた。十一日夕、古来山(いま久米島)を見る。この島は乃ち琉球に属するものである。使船に乗組の夷人(琉球人)たちは、船上で鼓舞し、家郷に達したことを喜んだ。」

 中国皇帝の琉球冊封使は、1372年に初めて派遣され、それ以来陳侃の前までに十回もの冊封使が、福州・那覇間を往復している。その往路は陳侃の通ったのと同じく、基隆、澎佳、釣魚、黄尾、赤尾を次々と目標とし、久米島に至り、慶良間列島をへて那覇に入港する(復路は久米島からほとんど真北に航するので、釣魚列島は通らない)。それゆえ陳侃以前の冊封使の記録があれば、それにも必ず釣魚島などのことが出ているだろうが、残念ながらその記録は現存しない。陳侃の使録が現存の最古である。それに釣魚島などの名が何の説明もなく出ているのをみれば、ずっと以前からこれらの島の所在は知られており、そこに中国名がつけられていただけでなく、航路目標として現実に利用されていたことがわかる。

 さらに陳侃の使録で重要なことは、彼が中国領福州から出て中国領のいくつかの島々を通り、久米島に至ってはじめてこれを「乃属琉球」と書いていることである。久米島から先が琉球であると特記するのは、その手前は琉球領ではないことを明確にすることでもある。

 陳侃の次の冊封使郭汝霖は、1561年5月29日に福州を出ているが、その使録「重編使琉球録」には、「閏5月1日、釣魚嶼を過ぎた。3日、赤嶼に至る。赤嶼は琉球地方を界する山である(赤嶼者界琉球地方山也)。あと一日の順風があれば、久米山を望むことができるであろう」とある。すなわち、陳侃が、久米島から琉球領だと書いたのを、郭は、赤尾嶼が琉球地方と中国領の界だと表現したのである。

 以上の二つの文献によって、久米島から先が琉球領、その手前の赤嶼から以西は中国領であることがわかる。ところが、国土館大学の国際法の助教授奥原敏雄氏は、陳・郭二使録は、久米島から琉球領にはいる。それまでは琉球領ではないと言うだけであって、赤尾嶼から以西が中国領であるとは書いてないから、それらは無主地であったのだ、と主張する(同氏「尖閣列島の領有権と『明報』論文」、雑誌「中国」71年9月号)。
 この主張は、中国の古文を、現在の国際法の条文を解釈するのと同じ流儀で解釈し、へりくつをこねているにすぎない。なるほど、陳・郭二使は、赤嶼までは中国領だと明記してはいないが、中国の福州から出航し、中国領であることは自明の台湾の基隆沖を通り、やはり中国領であることは自明の澎佳礁を通り、ついで釣魚、黄尾をへて赤尾嶼に至り、これが琉球との境だと書き、または久米島を見て、これが琉球に属す、と書いているのだから、この中国文の文勢、文脈は、台湾・澎佳から東に連なる、釣魚、黄尾、赤尾の諸島も、中国領であると意識していることは明らかではないか。
 奥原氏はまた、陳・郭の使録は現存する使録の最古であって、これ以後の使録には、両書のようなことは書かれていない、といい、そんな古いものにだけ書いてあることは、現在の問題を論ずる資料として価値がない、という。これもりくつにならないし、事実にも反する。陳・郭以後の使録でも、1719年、清の康煕58年の冊封使徐葆光の使録「中山伝信録」には、程順則という琉球の当時最大の学者が著わした「指南広義」(1718年著)を引用し、福州から那覇に至る航路をのべ、久米島について、「琉球西南方界上鎮山」と書いている。「鎮」とは、国境、村境などのじづめのことである。

 また「中山伝信録」は、琉球の領域をくわしく列挙しているが、その領域は沖縄本島と琉球三十六島であって、その中に赤尾嶼以西は加えていない。それどころか、八重山群島の石垣およびその周辺の八島を説明した終わりに、この八島は、「琉球極西南属界也」と書いている(釣魚に最も近い琉球の島は、八重山群島の西表島である)。
 「中山伝信録」は、大学者程順則をはじめ、多くの琉球人の著書および徐葆光が琉球で会談した琉球王府の高官たちの言にもとづいて、書かれたもので、その年に久米島および八重山群島について上のように書かれていることは、これが当時の中国人だけでなく、琉球人の認識でもあったことを意味する。
 さらに、徐葆光の前、1683年の冊封使王楫の使録「使琉球雑録」には赤尾嶼を過ぎた所で、海難よけの祭をすることをしるした中で、この所を「郊」または「溝」とも書くが、ここは「中外之界也」、中国と外国との境界だと明記している。この場合は、奥原氏が望むとおり、中国領と琉球領との境ということを、文字面でも明確にしているわけである。
 以上によって、琉球領は久米島以東であり、赤尾嶼以西、黄尾嶼、釣魚嶼が中国領であることは、おそくとも16世紀の中ごろから以後は、明確に定まっていたことが明らかである。これを打ち消す、あるいは少なくともこれに疑をはさんだ、琉球側ないしは日本人の記録文書は一つもない。また文献にはなくても、琉球人が早くから釣魚島や黄尾嶼と往来していたという口伝もない。風向きと潮流の関係で、琉球から釣魚のほうへは逆風逆流になり行くのはきわめて困難である。19世紀の中ごろ-日本の幕末期-には、釣魚島はヨコン(またはヨクン)、黄尾嶼は「久場島」、赤尾嶼は「久米赤島」として、琉球人に知られていたことは、中国の最後の冊封使の記録によりたしかめられるが、そのことは、この地の帰属問題に何らの影響を及ぼすものではない。なお、林子平の「三国通覧図説」の琉球国の一部は、地図も説明もまったく中山伝信録によっている。中山伝信録は早くから日本に伝わり、日本の版本もあるほどで、江戸時代後期、日本人の琉球に関する知識の最大最高の源泉であった。

          三
 明治維新の後、1872-79年(明治5-12年)に、天皇政府はいわゆる「琉球処分」を強行し、数百年続いた琉球王国を亡ぼし、ここをそれまでの島津藩の植民地から天皇制の植民地として、沖縄県と名づけた。その区域がもとの琉球王国領の範囲をこえるものでないことはいうまでもない。
 琉球が沖縄県とせられた年は、この地の領有権をめぐる清国と日本との対立が頂点に達した年でもある。1609年島津氏が琉球王国を征服してここを植民地的属国としたが、しかも歴代の琉球国王は、中国の皇帝、初めは明、後には清の皇帝に臣属してその冊封を受けていたので、清国からみれば、琉球全土はその一種の属領であるとして、日本に対抗して領有権を主張し得たのである。
 日清間のこの琉球領有権争いについて、当時の日本の民主革命派は、琉球が日本に属するか、清国に属するか、あるいは独立するか、それはすべて琉球の自決にまかせるべきであり、琉球の人民が独立を欲するなら、日本は率先してその独立を承認し支援して、大国が小国を侵すべきでないという原理を、ひろく世界に示すべきである、それが、西洋列強からの日本の完全独立をかちとる道でもある、と説いた。この思想は、現在のわれわれも受けつぎ発展させるべきではないか。
 それはともかく、日清間のこの争いを、アメリカの前大統領グラントが、個人として調停し、日清両国の交渉となるが、そのさい、中国側は、琉球三分案、すなわち奄美群島(ここも島津の琉球征服までは琉球王国領であった)は日本領、沖縄本島とその周辺は独立の琉球王国領、南部の宮古、八重山群島は中国領とすることを提案した。これに対して日本は二分案、沖縄群島以北は日本領、宮古・八重山群島は中国領とする案を出した。この日清いずれも、むろん釣魚群島は琉球のそとであるから交渉の対象にはなっていない。
 つまり清国が妥協して1880年9月、日本案による琉球二分条約に、日清両国の全権代表が調印した。しかし清国皇帝がこれを批准せず、なお対日交渉をつづけるようその政府に命じたので、日本側は交渉を打ち切った。その後1882年、竹添進一郎が天津領事として赴任したさい、清国側と琉球分界の交渉を再開するが、妥協せず、そのまま本問題は、日清両国政府とも放任して日清戦争に至る。
 つまり、維新後の日清戦争前には、日本側も釣魚島などの領有権を主張するとか、清国の領有に異議をとなえるとかは、思いもおよばなかった。世界中だれもが、清国領であることは自明としていた。

 この間、1884年(明治17年)、福岡県出身で1879年以来那覇に住み、海産物の採獲と輸出を業とした古賀辰四郎が、釣魚島に「あほう鳥」が群がるのに目をつけ、人を派遣してその羽毛と付近の海産物を採獲させ、それより年々その業をひろげた。そして彼は、1894年すなわち日清戦争開始の年(何月かはっきりしない)沖縄県庁に、釣魚島における事業のための借地願を出した。ところが、後年(1910年)古賀の功績をたたえた「沖縄毎日新聞」の記事(1910年1月1日-9日)は、古賀の借地願を県庁は、「当時同島の所属が帝国なるか否か不明確なりし故に」、許可しなかった。そこで古賀は上京して内務、農商務両大臣に直接に願い出で、かつ面会して島の状況をのべ、懇願したが、やはり、この地の帰属が「不明確」であるとの理由で許可されなかった。
 「時に27・8年の戦役(日清戦争)は終局を告げ、台湾は帝国の版図に帰し、29年(1896年)勅令第13号を以て尖閣列島が我が所属たる旨を交付せられたるにより」古賀はただちに沖縄県知事に借地願を出し、同年九月に初めて認められた。(同上)
 これは決定的に重要なことである。古賀が釣魚島の借地を沖縄県および中央政府に願い出たのが、1894年の、日清戦前か後かはわからないが、そのときはまだ県庁も中央政府も、同島の帰属不明としたというが、もし日本政府がここを国際法的に無主地と認めていたら、古賀の願をすぐ許可しない理由はない。帰属不明ではなくてここが清国領であることは明らかであるから、日本政府は古賀の願いを許すわけにはいかなかったのである。
 
 そして、日清戦争に勝利した結果、澎湖島、台湾、およびその付属の諸島嶼を、日本は清国から奪い取った。そのさい、台湾と琉球との間に連なる中国領の釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼等も、日本領としたのである。
 上の引用文に、1896年(明治29年)勅令第13号で、「尖閣列島」が日本領になったとあるが、この勅令は三月五日付けであり、その内容は沖縄県の郡編成に関することであり、釣魚島などを沖縄県に編入するとは全然書かれていない。琉球政府が一九七〇年九月に出した「尖閣列島の領有権および大陸棚資源の開発主権に関する主張」は、これらの島が「明治28年1月14日の閣議決定をへて、翌29年4月1日勅令第13号にもとづき日本領土と定められ、沖縄県八重山郡石垣村に属せしめられた」というが、勅令第13号は前記のとおりである。あるいはこの3月5日の勅令第2条に基づき、八重山郡の境界を変更する内務大臣の命令により、釣魚島等が、4月1日付けで同郡石垣村につけられたのであろうか。
 また上にいう1895年1月14日の閣議決定とは、どんな文言の決定なのか、またその決定実行が日清戦争終結、講和条約発効(1895年5月)台湾等を現実に日本が引取って(6月)からさらに10カ月後になったのはなぜか、これらのてんはまた私も調べがついていないが、すでにまったく明確なことは、釣魚島等は、前記の「沖縄毎日新聞」も関連させているとおり、日本が日清戦争で台湾等を清国から奪いとったとき、その一連の清国領割き取りの一部として、はじめて日本領とされた、ということである。

          四
 そしてこれらの島を尖閣列島とよぶようになるのは、この4年後の1900年、沖縄県師範学校教諭黒岩恒が、釣魚島を探検調査し、釣魚、赤尾の両島とその中間の岩礁群を総称して、尖閣列島と名づけ、そのことを「地学雑誌」第12輯第140-141巻に「尖閣列島探検記事」として発表してから以後のことである。黒岩がこの名をつけたのは、当時行なわれていたイギリス海軍の海図と水路誌に、釣魚と黄尾の間の岩礁群を、その形状により Pinnacle-groupとよび、そのイギリス名を訳して日本海軍の水路誌も、「尖閣諸嶼」と名づけており、人によっては「尖閣群島」とも訳していたのに示唆され、釣魚島の形も、岩山が屹立(きつりつ)しているので、釣魚島および尖頭諸嶼と黄尾嶼の総称を、尖閣列島と名づけたのである。
 ここで注意すべきは、黒岩が名づけ、いま日本政府が日本領だと主張している尖閣列島には、赤尾嶼ははいっていないということである。日本政府は、おそらく赤尾嶼の日本領であることも自明であるとし、中国との間でたまたま問題になったのが釣魚島であるので釣魚島を代表とする「尖閣列島」のことのみを言い、赤尾嶼のことは、だまっておし通せるものならおし通そうということである。
 しかし、赤尾嶼は、地理的には釣魚島、黄尾嶼と一連の中国大陸棚の縁辺の島であり、歴史的には釣魚島などと同じ時期から、そのつづきの中国領の島として認識され記録されていたことは、すでにくわしくのべたとおりである。だから、日本のいう「尖閣列島」にのみ関心を奪われ、赤尾嶼を忘れるようなことがあってはならない。そのためにも、尖閣列島という、日本軍国主義が中国から奪い取った後につけた名前は用いないで、歴史的に唯一の正しい名称、釣魚島を代表とし、それより東は赤尾嶼にまで至る一連の島という意味で、これを釣魚列島または釣魚群島というほうが、軍国主義反対の日本人民の立場からしても、正しいよび方になる。
 釣魚群島の歴史的沿革が以上のごとくであるからには、それの現在の帰属は、本文の初めにのべたとおり、中華人民共和国に属するという以外に歴史学的結論はありえない。
(いのうえきよし・京都大学教授歴史学)

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by nameken9 | 2010-09-29 09:06 | Comments(2)

9月12日なめ憲報告

大阪の恥、弱い者いじめの橋下を府知事の座からひきずりおろそう!

 9月12日のなめ憲では、主に二つのことをアピールしました。
 まず、一つ目は、朝鮮高校の高校授業料無償化除外問題です。これは、今年4月から全国の高校で授業料が無償化されましたが、朝鮮高校のみ、授業料無償化の対象からはずされました。このことは、国内外から非難され、おおむね日本政府は朝鮮高校に対する授業料無償化を実施する方向に進んでいます。ところが、ここ大阪では、たとえ国が朝鮮高校無償化を実施しても、橋下大阪府知事は「府独自の判断」といって朝鮮学校への補助金をカットしようとしています。元来、歴史的に大阪は在日朝鮮人が多く居住し、そうした経緯から朝鮮学校に対する補助金が少ないながらも出ていました。ところが、橋下知事はそうした補助金すらカットして朝鮮学校をいじめています。また、朝鮮学校の問題のみならず、橋下知事のやろうとしていることは、ヤミ金特区をつくることであったり、カジノをつくることであったり、道州制の導入であったり、貧乏人をいじめて金持ちを優遇する政策です。こうした橋下知事は、大阪にはいらないということで一刻も早く橋下を知事の座からひきずりおろそうとアピールしました。

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日本政府は中国漁船の船長と乗員全員を釈放しろ!
二つ目は、海上保安庁の中国漁船の拿捕事件です。中国名―釣魚島、日本名―尖閣諸島は、歴史的に冷静に判断すれば中国の領土ですが、現在、日中双方が領有権を主張するホットスポットになっています。この問題は、お互いに話し合いを重ね平和的合理的に解決すべき問題です。しかし、今回海上保安庁は中国の漁船を拿捕するという暴挙に出ました。このことは、今の菅内閣の外交姿勢をあらわす象徴的な事件であり、絶対に許すことのできない問題です。菅内閣の外交姿勢は、沖縄の米軍普天間基地問題に象徴されるようにアメリカにばかり媚を売り、中国に対する明らかな敵対姿勢を示すもので、日本の未来は、中国との友好関係を抜きにあり得ないことを訴えました。
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テント撤去は生存権を侵害する憲法違反!

また他に、今回はいろんな視点から憲法の人権問題にかかわるアピールがなされました。
一つ目は通天閣ロボに住民票が与えられた問題です。西成の労働者である今村さんは、大阪市によって一時住民票を奪われました。住民票を奪われるということは、働くところがなくなったり運転免許の更新ができなかったり、労働者にとっては死活問題です。ところが、大阪市はあろうことか通天閣の形をしたロボットに住民票を与えたのです。住民票を奪われた労働者にとって到底許すことはできないと怒りのアピールがありました。
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二つ目は釜パトの田島さんから扇町公園のテントが撤去されそうになっている問題のアピールがありました。扇町公園は、そこに住むホームレスの人たちの生きる場所であり、また、大阪駅や梅田駅から訪れる人々が福祉相談をしたり自分の居場所を見出したりするという場所です。そうした場が大阪市によって奪われようとしています。大阪市は今月から空きテントを撤去し、公園内に道を作る(全く必要のない道と思われる)からとすべてのテントを撤去しようとしています。田島さんからは、扇町公園という人々が生き集まる場所を守りたいという気持ちが伝わるアピールでした。
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最後は釜ヶ崎よってけ祭りの仙石さんから報告がありました。大阪市は、釜ヶ崎の公園内のテントを撤去しようとしています。いま、新たなテントや屋台を作らせないために、警察OBを雇って(年間800万円税金から出ている)釜ヶ崎を監視パトロールさせています。しかし、その仕事ぶりはほとんど西成警察にいりびたってほんの15分ほどパトロールに回っているに過ぎないということです。「警察OBなど必要ない、そんな税金の無駄使いはやめろという大阪市に対する要望書にいれていくということでした。仙石さんはまた、「例えば神戸で震災で被災した人々は公園でテントをはり炊き出しをしたでしょう?ホームレスの人たちが公園でテントをはるのも同じなのです。」と訴えました。
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      諸 団 体 の 催 し を 掲 示 板 で 紹 介

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by nameken9 | 2010-09-13 23:28 | Comments(0)

朝鮮学校補助金カットは国際非難の的、
日本の恥!大阪の名折れ!
「差別都市大阪」「民族排外主義の都大阪」「イジメの町大阪」の
橋下大阪都構想をぶち壊そう!
違憲の暴君、橋下知事は辞職しろ!


 9/7,8に行われた民主党内の「朝鮮学校授業料無償化」に関する、文教科学部門会議と内閣部門会議(拉致担当)の合同会議でも、「朝鮮学校授業料無償化」賛成が多数を占めたとのことです。皆さんの民主党議員への働きかけ、民主的監視の目が奏功したようです。有難うございます。まだ曲折が予想され安心はできませんが、すでに文部科学省は朝高無償化の方針を決めており、民主党の賛成が決まれば(代表選など不確定要素はまだある)、朝高無償化実現に向け大きく舵を切ることになります。朝高無償化実現までもうひと踏ん張り。共にがんばりたいと思います。
 
ところが朝高無償化が実現しても、とんでもない妨害がこの大阪で入ろうとしています。元凶は橋下知事です。橋下知事はテレビ映りは良いが、やろうとしていることは、「差別、民族排外主義、朝鮮学校イジメ」の蛮行です。国が朝高無償化を決定すれば、橋下知事は「法定受託事務」として朝高無償化を粛々と実施する以外ありません。ところが、橋下知事は「府独自の判断」といって、府の朝鮮学校への補助金をカットし無償化を実質帳消しにすることをたくらんでいます。これでもまだ飽き足らず、ついに橋下知事は「朝鮮学校の各種学校の認可取り消し」に言及しだしました。どこまで非道か!
 
国連をはじめ、「朝高無償化除外は差別」だとして世界中から非難の声が巻き起こりました。そして国は、朝高無償化適用の方向に動き出したのです。橋下知事は国際世論や国の方針に逆らって、なぜ大阪を差別、民族排外主義、朝鮮学校イジメの国際非難の的にさらすのか。「差別都市大阪」「民族排外主義の都大阪」「イジメの町大阪」、これが橋下知事のいう「大阪都構想」の実態です。
しかも、橋下知事の朝鮮学校差別は権力の教育への政治介入であり憲法違反で、日本の民主主義の根幹にかかわる由々しき問題です。いつまでこんな人間をわれわれ大阪府民は知事として仰がなくてはならないのでしょうか!?日本の恥、大阪の名折れ橋下知事を即刻辞職させましょう。
 
「強きをくじき弱きをたすける」浪速人情を忘れてはいけません。権力におもねるのではなく差別やイジメを嫌い、多文化共生の国際文化都市大阪こそ大阪人の心にピッタシ来るのと違いますか。大阪府の予算もすでについて決まっている朝鮮学校への補助金の即時支給こそ、大阪の名折れ日本の恥橋下府政を糾す第一歩。多文化共生の国際文化都市大阪こそ大阪発展の道。朝鮮学校への補助金の即時支給を勝ち取りましょう。




海上保安庁の中国漁船拿捕糾弾!
日中友好の精神に照らし
漁船と乗員を即時釈放せよ!

 釣魚島(中国名)尖閣諸島(日本名)は、冷静に歴史をひも解けば中国固有の領土です。しかし現在、日中双方が領有権を主張するホットスポットになってしまっています。ここはひとつ日中友好の精神で合理的、平和的に問題解決を図るのが上策のはずです。いかなる理由があるにせよ、いきなり拿捕とは言語道断です。日中友好を願う日本人として、海上保安庁の中国漁船拿捕を怒りをもって糾弾します。

菅政権が誕生するや、突然「自衛隊の海兵隊(侵略部隊)化」が打ち出され、中国を仮想敵とする「島礁奪還作戦」の日米合同軍事演習が南西諸島を舞台に繰り広げられたところです。そして、今回の中国漁船拿捕事件です。一連の日本側の動きは日中友好に水をさす由々しき事態で決して看過できません。

中国との良好な関係をぶち壊しては日本の未来はありません。ふた昔前なら、日本の対外貿易の30%を占めたアメリカのほうを向いていればよかったかもしれません。しかし今や対米貿易の比率は10%。かわって中国が20%。中国を含むアジア圏が40%です。今回の平成大不況をなんとかここまでしのげたのは、中国の存在が大きかった事実を忘れてはなりません。

ひるがえって、アメリカはといえば、「思いやり予算」という米軍への上納金を巻き上げられるは、「郵政民営化」の名のもと「郵貯、簡保」で米国債を買わされ国民の種銭を巻き上げられるは、銀行、証券会社、生保の名義で血税を使いこれまた米国債で金を巻き上げられてきました。その額500兆円とも700兆円ともいわれています。実に日本の国富の1/3から半分がアメリカによって搾取されているのです。まさに、日本の不況の元凶はアメリカにあるのです。

いつまでもアメリカのほうばかりを向いて、中国との良好な関係をぶち壊すことは亡国の愚挙にほかなりません。冷静に国の将来を思いはかれる日本人なら、今こそ日中友好がもっとも大切であることがわかるはずです。

政府は、中国漁船と乗員を直ちに釈放し、必要な事後処置等を全うし、日中友好に万全を期すべきです。



なめるな国民を!守ろう憲法!憲法を守る意志表示の会
〒557-0011 大阪市西成区天下茶屋東2-9-16
℡ 06-6653—8283(FAX共用)
なめ憲ブログhttp://nameken9.exblog.jp/

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by nameken9 | 2010-09-12 07:39 | Comments(0)

民主党は朝高無償化へ横ヤリを入れるな!
権力の教育への政治介入は許さん!


9月7日、8日、民主党内で「文部科学・内閣部門合同会議」が開催され、「高校無償化での朝鮮学校の取り扱い」が議論されるとのことです。
ところが、「内閣部門合同会議」というのは、拉致担当部門とのことです。拉致問題を金科玉条に、自らの民族排外主義の政治主張をもって公然と教育に介入してはばからない違憲の勘違いヤローの議員の参加が予想されます。文科省は、「外交上の問題ではなく、教育上の客観的評価基準に照らし、朝高無償化適用」の結論に至っているにもかかわらず、「朝高無償化除外」の横槍が、違憲勘違い議員から入ろうとしています。


地元出身の民主党議員に緊急要請をお願いします。
「朝鮮高校にも差別なき無償化適用を!」

世界のすべての子供たちに保障されている学習権、教育権、民族教育を受ける権利。わが国憲法においても、基本的人権の尊重、平等原則、学問の自由などの諸理念から当然保障される権利であり、日本に暮すすべての子供たちが享受できる権利です。とりわけ、「権力の教育への政治介入を禁じる」憲法理念は、かつて「皇民化教育の強制」が悲惨な戦争につながった苦い歴史的経験と痛切な反省から生まれたものです。今、権力の教育への政治介入=朝高無償化除外を許すことは、わが国民主主義の根幹を揺るがす由々しき問題です。
事態は急を要します。ブログをごらんのみなさん。地元の民主党議員に要請ください。「朝高無償化除外を許さず、朝高にも差別なき無償化適用を!」


なめるな国民を!守ろう憲法!憲法を守る意志表示の会は、
違憲勘違い議員に厳重監視の目を向け続ける。

コラ!民主党に巣くう違憲勘違い議員!憲法はお前のような勘違いヤローを縛り付けるためにある。「朝高無償化除外」を主張したお前の顔を、<なめ憲>は決して忘れない。覚悟せよ!

次回なめ憲は、9月12日(日)午後2時、天王寺公園東口
ともに、違憲勘違いヤローの議員に厳重監視の目を向けましょう。

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by nameken9 | 2010-09-06 21:38 | Comments(0)
日朝友好の稲刈りをしよう!
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 残暑きびしい折、いかがおすごしですか?
ことしも恒例の「日朝友好の稲刈り」の季節が来ました。今年は、能勢の地域の協議で、「早稲」を植えましたので、例年より早い稲刈りになります。
 14回目の稲刈りですが、この暑さで稲の成育は順調で、豊作が期待できます。
 今年もまた、朝鮮学校の生徒さん、オモニやアボジ、そして日本の平和を愛し、多民族が仲良く共生していく社会を願う市民が参加し、朝鮮民主主義人民共和国に送るための米を収穫します。
 稲刈りの後、朝鮮側からは焼肉、日本側からはおでんを出して、交流会を持ちます。そのあとは子供達を中心に運動会。
 また楽しい一日にして、これからの英気を養えたらと思います。
 ふるってご参加ください。
                  

         記

日時:2010年9月23日(祝)

集合:能勢電終点・妙見口駅午前9時集合(田んぼまでピストン輸送)、車で直接現地集合の方は午前10時まで。

会費:大人2,000円、学生1,500円、子供500円
    (飲食費と農耕費)

持ち物:着替え、タオル、ご飯
     (朝鮮側から焼肉、日本側からおでんと飲物を出します)

申し込み:伊関090-4640-7638 
       山橋080-6175-7067  
       9月19日までに連絡を下さい。

主催:平和の糧 朝鮮総連西大阪支部

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by nameken9 | 2010-09-05 15:11 | Comments(0)